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パリ・オペラ座バレエ : Ballet de l'Opera National de Paris |
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創設はルイ王朝時代の17世紀にさかのぼる世界最古のバレエ団です。
『パリ国立オペラ』とは、パリの『国立オペラ―バレエ劇団』の、1994年以降の名前である。みなもとは、下記『劇団名の変遷』の項にある『音楽アカデミー』で、それは、作曲家ロベール・カンベール(Robert Cambert)と組んで宮廷用オペラを作っていた詩人ピエール・ペラン(Pierre Perrin)の請願が、財務総監コルベールの仲立ちで、ルイ14世に認められ、1669年に設立された。
その後、『王立』、『帝国立』を冠したことも、単に『オペラ』と呼んだときもある。その『オペラ座』または『パリ・オペラ座』の呼称がいつごろから広まったかは、明らかにできないが、1875年開場のガルニエ宮の所在地は、『オペラ広場』で、1878年敷設の、ガルニエ宮とコメディ・フランセーズとを直に結ぶ街路は、『オペラ大通り』である。日本のある仏和辞典は『opéra:歌劇、歌劇場』、『Opéra:パリのオペラ座』と書いている。
劇団が本拠とする劇場も《世界初演とそのときの劇場》にあるように移り変わった。
1672年、イタリア生まれのジャン・バティスト・リュリがペランとカンベールを逐い、多くの自作を公演した。しかし、後継の親族らの経営は低迷し、1733年以降のラモーのオペラは評判を呼んだが、赤字は積もった。
フランス革命の10年ほど前には、ドイツのグルックとイタリアのピッチンニのオペラが、競り合った。革命期には、迎合的な作品も上演された。経営者が次々と代わり、ナポレオン政府の1807年の経済的措置でようやく救われた。
1821年からの11代目の劇場サル・ル・ペルティエでは、まずパリに滞在中のイタリアのロッシーニが活躍した。ドイツのマイヤベーア、イタリアのドニゼッティもパリに住んでオペラを書いた。初演ではないが、ワーグナーは、『タンホイザー』のオペラ座公演(1861年3月13日)のため、パリ人が好きなバレエを書き加えた(「パリ版」と呼ばれる)。
1880年3月22日には、ヴェルディが、ガルニエ宮で『アイーダ』の棒を振った。
300余年前の発足時から、この劇団は、内外の多くのオペラとバレエとを舞台にかけ、諸国の指揮者・歌手・演奏家・舞踊家・管弦楽団・歌劇団・バレエ団などを広く招き、世界的な歌劇団としての役割を果たしてきた。
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WEB http://www.opera-de-paris.fr./ |
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ロイヤル・バレエ : The Royal Ballet |
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イギリスの王立バレエ団。フランスのパリ・オペラ座、ロシアのマリインスキー・バレエの2大バレエ団に加えて、世界三大バレエ団の一つと称されることもある。
バレエ・リュスで活躍していたアイルランド出身のバレリーナ、ニネット・ド・ヴァロアが1931年にロンドンで始めたヴィック・ウェルズ・バレエ(Vic Wells Ballet)が濫觴である。英国にはまだ国立のバレエ団は存在せず、全くの私立カンパニーとしての始まりであった。1942年までにバレエ団はロンドンのサドラーズ・ウェルズ劇場を本拠地とするサドラーズ・ウェルズ・バレエ団となり、先に設立していたバレエ学校でM・フォンテイン、M・シアラーなど自前の舞踊手を育てていった。初期作品にはド・ヴァロアの振付によるものもあったが、やがて舞踊手出身のフレデリック・アシュトンが振付を開始して数々の名作品を生み出すようになる。第二次世界大戦が始まるとヨーロッパ各国への公演、駐留軍への慰問公演などを積極的に行い、集客力と知名度を上げていった。
1946年、戦争で閉鎖していたロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスは再開にあたってサドラーズ・ウェルズ・バレエ団を傘下に置くことになり、バレエ団はコヴェント・ガーデンに本拠地を移した。旧本拠地のサドラーズ・ウェルズ劇場はその代償として分派させたバレエ団の一部を姉妹カンパニーとして手元に留まらせ、その名称はサドラーズ・ウェルズ・シアター・バレエ団となった(移転した方の名称は旧来のまま)。
1956年、王室勅書によりマーガレット王女を名誉総裁とする王立バレエ団となる。2つのバレエ団はそれぞれロイヤル・バレエ団、サドラーズ・ウェルズ・ロイヤル・バレエ団の名称が冠せられた。なお1991年にサドラーズ・ウェルズ・ロイヤルはバーミンガムに移転し、バーミンガム・ロイヤル・バレエ団と改称して現在に至っている。
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WEB http://www.royalballet.org/Home/ |
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イングリッシュ・ナショナル・バレエ : UK English National Ballet
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イギリスのバレエ団。マルコワ‐ドーリン・バレエ団を母体に、1950年ロンドン・フェスティバル・バレエ団として創設された。68年フェスティバル・バレエ団と改称し、89年に現在の名称となった。創設時の芸術監督はA・ドーリン。ギルピンJohn Gilpin(1930―83)、L・マシーン、リシンDavid Lichine(1910―72)らのダンサーが参加、スタンダードのクラシック・バレエをレパートリーの基本とした。成功した作品に、ランダーHarald Lander(1905―71)の『エチュード』、カーターJack Carterの『ウィッチ・ボーイ』、ドーリンの『バリエーション・フォ・フォー』、R・ヌレーエフの『眠れる森の美女』、シャウフスPeter Schaufuss(1949― )の『ラ・シルフィード』などがある。1961年にドーリンが辞任した後、歴代の芸術監督にはギルピン、ブランズビグJulian Braunsweg、アルベリーDonald Albery(1914―88)、グレーBeryl Grey(1927― )、フィールドJohn Field(1921― )、シャウフスらがいる。初代会長はA・マルコワ。
WEB http://www.ballet.org.uk/ |
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バーミンガムロイヤルバレエ : Birmingham Royal Ballet |
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イギリスの王立バレエ団。フランスのパリ・オペラ座、ロシアのマリインスキー・バレエの2大バレエ団に加えて、世界三大バレエ団の一つと称されることもある。
バレエ・リュスで活躍していたアイルランド出身のバレリーナ、ニネット・ド・ヴァロアが1931年にロンドンで始めたヴィック・ウェルズ・バレエ(Vic Wells Ballet)が濫觴である。英国にはまだ国立のバレエ団は存在せず、全くの私立カンパニーとしての始まりであった。1942年までにバレエ団はロンドンのサドラーズ・ウェルズ劇場を本拠地とするサドラーズ・ウェルズ・バレエ団となり、先に設立していたバレエ学校でM・フォンテイン、M・シアラーなど自前の舞踊手を育てていった。初期作品にはド・ヴァロアの振付によるものもあったが、やがて舞踊手出身のフレデリック・アシュトンが振付を開始して数々の名作品を生み出すようになる。第二次世界大戦が始まるとヨーロッパ各国への公演、駐留軍への慰問公演などを積極的に行い、集客力と知名度を上げていった。
1946年、戦争で閉鎖していたロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスは再開にあたってサドラーズ・ウェルズ・バレエ団を傘下に置くことになり、バレエ団はコヴェント・ガーデンに本拠地を移した。旧本拠地のサドラーズ・ウェルズ劇場はその代償として分派させたバレエ団の一部を姉妹カンパニーとして手元に留まらせ、その名称はサドラーズ・ウェルズ・シアター・バレエ団となった(移転した方の名称は旧来のまま)。
1956年、王室勅書によりマーガレット王女を名誉総裁とする王立バレエ団となる。2つのバレエ団はそれぞれロイヤル・バレエ団、サドラーズ・ウェルズ・ロイヤル・バレエ団の名称が冠せられた。なお1991年にサドラーズ・ウェルズ・ロイヤルはバーミンガムに移転し、バーミンガム・ロイヤル・バレエ団と改称して現在に至っている。
WEB http://www.brb.org.uk/ |
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デンマーク・ロイヤル・バレエ : The Royal Danish Ballet |
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伝統的なブルノンビル・スタイル(華麗な脚さばきや跳躍)繊細で軽やかな振付の「レ・シルフィード」が有名。
デンマークのコペンハーゲンを拠点とするバレエ団。1771年にデンマーク王立劇場に設立されたバレエ学校を前身とする。19世紀の芸術家・振付家オーギュスト・ブルノンヴィルの作品「ラ・シルフィード」、「ナポリ」、「ゼンツァーノの花祭り」の初演で知られる。
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WEB http://www.balletcompanies.com/DanishRoyalBallet/ |
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シュツットガルト・バレエ : Stuttgart Ballet |
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世界有数の振付家を輩出した。 |
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WEB http://www.stuttgart-ballet.de/ |
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ネザーランドダンスシアター : Nederlands Dans Theater |
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WEB http://balletcompanies.com/NederlandsDansTheater/ |
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ベジャール・バレエ・ローザンヌ : Bejart Ballet Lausanne |
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世界にとどろく名声と実力を持ったモーリス・ベジャールのカンパニー。 |
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WEB http://bejart.ch/ |
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バレエ・ビクトル・ウジャーテ |
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スペインのビクトル・ウジャーテ率いるバレエ団 公式サイトは工事中なので、こちらのサイトから公演情報がわかる |
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WEB http://www.tcalderon.org/temporada2001/abril5.html |
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スペイン国立バレエ(モダン/ナッチョ・ドウアトNacho Duato) |
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スペインの国立バレエ団はビクトル・ウジャーテが率いていた頃はクラシックだったが、ナッチョ・ドゥアトになってからはコンテンポラリーに変貌。 なお、スペイン国立バレエというともう一つ、スペイン舞踊とフラメンコのカンパニーが同名であるので注意。 |
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WEB http://cndanza.mcu.es/cia.htm |
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キーロフ・バレエ : Kirov Ballet |
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1783年創立。ロシアバレエの老舗。デリケートで手脚の長い優雅なバレリーナぞろい。「白鳥湖」「海賊」「眠りの森の美女」などは元祖。 |
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WEB http://www.webcom.com/shownet/kirov/kirov3.html |
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ボリショイ・バレエ : Bolshoi Ballet |
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ウラノワ、プリセツカヤ、アナニアシヴィリなど天才バレリーナを多く排出。 |
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WEB http://www.life.com/Life/essay/bolshoi/bolshoi01.html |
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モスクワ音楽劇場バレエ : Moscow Musical Theatre Ballet |
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ロシアの二大バレエ団のキーロフ、ボリショイとは異色のカンパニー |
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ニューヨーク・シティ・バレエ : New York City Ballet |
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代表的振付家ジョージ・バランシンや、ジェローム・ロビンスの作品が有名。アメリカ随一のカンパニー。 |
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WEB http://www.nycballet.com/nycballet/homepage.asp |
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アメリカン・バレエ・シアター : American Ballet Theatre |
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ニューヨーク拠点の世界的カンパニー。亡命したバリシニコフが活躍したことでも有名。豪華なダンサー達にはアナニアシヴィリ、マラホフ、なども。 |
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WEB http://www.abt.org/ |
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ワシントン・バレエ : U.S.A. Washington Ballet |
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WEB http://www.washingtonballet.org/ |
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トロカデロ・デ・モンテカルロ・バレエ団 : U.S.A. Les Ballets Trockadero de Monte Carlo |
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WEB http://www.trockadero.org/index.html |
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コロラド・バレエ : Colorado Ballet |
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WEB http://www.coloradoballet.org/ |
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サンフランシスコ・バレエ : San Francisco Ballet |
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WEB http://www.sfballet.org/
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