日本バレエ発祥之地
エリアナ・パブロバは大正九年 動乱の祖国ロシアを逃れて来日 昭和二年
この地にバレエスクールを建てた エリアナは自分自身の舞台活動を通じて、日本にクラシックバレエを紹介するとともに多くの舞踊家を育て 日本バレエ界の基礎づくりに貢献した第二次大戦後 日本のバレエ界の発展を支えてきた人達の多くはパブロバの薫陶のもとに育った昭和八年日本に帰化 霧島エリ子を名乗ったが 昭和十六年軍属と
として日本軍慰問旅行の途中 南京で戦病死 鎌倉市は市葬をいとなみ のち靖国神社に合祀された
母ナタリア 妹ナデジタはエリアナを輔けエリアナの死後 その仕事をついだナデジタは昭和五十七年この地で没した。
 
このバレエ学校の第1期生の中には
服部智恵子、東勇作、橘秋子、貝谷八百子、島田廣といった後の、
日本のバレエ界の先駆者となった人々が在籍していました。
戦後
戦後になりようやく、日本バレエは動き始めます。
東勇作、葦原英了などが東京バレエ団を結成しました。
そして戦後の翌年
1946(昭和21)年に『白鳥の湖』 を全幕初演したのです。
そう。ここからが、本当の意味でも日本バレエの出発点となります。
このバレエ団はその後、1950(昭和25)年に解散してしまうわけですが、
この年からバレエ界は大きく動きます。
様々なバレエ団の旗あげ!
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